井の中の蛙

僕は周りからは優れて見えるらしい。


大学生のころは成績がトップだった。
バイトで勤めていた企業では1年で唯一の学生かつ、最も若い管理者のポストを与えられた。
百名以上の人材をまとめた。
管理者になったあと、うちに本格的に就職しないか、と新たなユニットの立ち上げの仕事を相談された。
それを断り、ある大企業に就職した。
福利厚生もしっかりしているし、有給も多い、勤務時間は8時間にも満たない。
その中でも蓄えた知識と判断力や行動力から、
同期でリーダー格をまかされ、表舞台にでないことも多いが、裏から支えていることは事実だ。



地元から出て、都会でもやっていけているということも踏まえても、僕は優れているんだろう。
そう勘違いしてしまう程度には。



でも考えれば考えるほど、優れているわけではないのだ。
自分で言っていてアホみたいに。




大学の偏差値は低かった。
バイト時代の企業なんてのもたかがしれていて、所詮下請けだ。安い賃金で働かされる。
ユニットを立ち上げるときも、ルーチンワークが仕事の大部分を占めることは明確だった。つまりそういう単純な仕事だ。
就職したのは大企業、といっても、大手グループの子会社の一つだ。低い学歴からも雇ってくれる。
福利厚生がしっかりしているのも、その一つであるから、という理由にすぎない。
知識がある、といっても、周りがないだけなのだ。何しろ僕も含めて学歴も低いし、
そういう専門的な分野からの出身がほとんどいないからだ。



なにが優秀と言えよう。恥ずかしい限りだ。



多分僕が少し前の時代に生きる人間であれば、
大企業は安泰だし、周りからも慕われ、満足して業務に励んでいたに違いない。
だが、今の時代を生きる僕にとって、そうではない。
大企業といえども、高い給料を得るにはその中でも勝ち抜かなければいけなくなったし、
情報化社会と言われて久しく、世界の表面的な動きはなんでも知る事ができるのだ。



だから、僕は僕が優れてなんかいないことに気付いてしまった。



周りから慕われているからといっても、僕よりもっと優秀な人がいれば
その人が一番慕われていたに違いない。
地方から都会にいっても評価されている事実は、一定の信頼性はあるが、
上記と同じだ。周りにもっと優秀な人がいないだけ。



しかし、テレビで見る限り、人からきく限り、ネットで見る限り、
世の中には優秀ですばらしい人が多くいるのだ。



今の環境に甘んじていては、僕の成長はここで止まっただろう。
今の時代だからこそ、気付けたこの事実に、うれしくも思うが知らなくてよかったかもしれないとも思う。



だが、知ってしまった以上、向上を目指さずにはいられないのだ。
ここに留まっていてはいられない。
次なる新天地を目指す。
お固いだけの大企業なんて糞くらえだ。
どうせ世界がいつの時代まで今の資本主義を保っていて、いつまで日本が裕福かわからないし、
原発問題にしろなんにしろ、生きる希望がないように感じるのだ。
難しい事を考えるよりも死んだ方が楽に見える。



僕を含めた大多数の若者が希望を持っていないというのは間違っていないだろう。
でも死ぬのも怖いし。
それぞれ好きな物を買ったり、ちょっとだけ裕福な生活に憧れて、頑張って働く。
そこに希望を見いだしているだけだ。
根本的な不安はぬぐいきっていない。



だが、僕も希望をもつことにした。
僕の希望は、僕が成長することだ。
どうせいつまで生きる事ができるかわからないから、
失敗を恐れず狂気じみることにする。
今回はそのファーストステップとして、安定が約束された企業を辞める。
これは絶対に変えない。
僕がそつなく仕事をこなしたとして、30代後半で年収1,000万は固いだろう。
それでもやめる。
そこに希望はあまり見えない、仕事をしていてそう思った。



そして自分自身を高めることができる企業に所属する。
最終的にどうなるかわからないが、
手段を問うつもりはないので、起業も考えているし、
その他の方法も考えている。



狂気に、どん欲に生きていく。
少しでも世界で活躍するすばらしい人に近づく為に。
自分でもなぜそうしたいかわからない。
でも、エキサイティングだろう?それだけは言える。



これ以上の楽しみを人生で見いだす事は、難しそうだ。